「先生」という呼称には、2つの意味がある。
ひとつは、ものを教わる人、または、その人と接することで自らの陶冶につながる人。つまり「師」の意味である。代表例は学校の先生や武道の先生。
そしてもう一つは、「先生」と呼ぶことで自分のためにより良い仕事をしてもらおうとする時、私たちはこの呼称を用いる。代表例は政治家である。
さて、整体の仕事をしていると「先生」と呼んでくださる方がいて、私はそう呼ばれる度に心のなかでは恐縮し、警戒する。警戒するというのは、相手が自分を働かせようとしているからというのではなく、「先生」と呼ばれることのリスクをこれまでの人生において少なからず感じてきたからかもしれない。
「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」という言葉は先生と呼ばれることへの戒めとして知られているが、このような川柳が忘れられることなく受け継がれているのは、「先生」と呼ばれることに何かしらの落とし穴があることを人々が感じ取っているからであろう。
私が「先生」と呼ばれて警戒するのは、自らへのリスクを常々感じるからである。
ただ、私のことを「先生」と呼んでくださる方には、人をどう呼ぶかの自由があるから私が呼び方を指定するのはおこがましい、ということから「先生」と呼ばれても特に何も申し上げてはいない。けれども、「先生」と呼んでくださっている方がもしこのブログを読まれたならば、ぜひ「先生」ではなく普通に名前で呼んで頂きたく願う次第である。