20代の頃はあまりビールを美味しいと思わなかった。ところが30代も半ばを過ぎたあたりからやけにビールの苦みがうまいと思うようになってきた。さらに遡って幼少期のことを思い出すと、大人が美味しそうに食べているものの中に、いやな味や匂いを感じることも多かったように思う。味覚というのは実はとても保守的な感覚であると言われていて、新しい味をすぐには受け入れないことが多い。味の好みが年齢とともに変化する原因のひとつに味覚のこういった特徴が関係している場合がある。味覚にも文化的な段階のようなものが存在するのである。そしてもう一つの大きな原因は、「味蕾」という口の中に存在する味を感じる器官の減少である。味蕾は40代以降になると子供の2分の1以下になってしまうと言われる。そのことによって子供の頃には感じていた味とは異なる味わいとなるのである。食文化とはとてもありがたいもので、このような状態になるとちょうど美味しく感じる食べ物や食べ方が私たちを待ってくれている。
このような感覚器の経年的な変化は聴覚にも起こる。年齢とともに高い周波数の音が聞こえなくなることはよく知られている。特に17,000ヘルツ前後の高い音は「モスキート音」とも呼ばれ、若い人には聞こえて大人には聞こえないということで一時注目を集めた。夜の公園にたむろする若者を追い払うためにこのモスキート音を流す実験が行われたりもした。また、若い人はこれを携帯電話の着信音にすることで大人には知られることなく着信を知る、ということも行われているようである。私の身近な経験としては、若い頃はギーギーと耳障りだったバイオリンの音色が30代半ば辺りからまろやかでとても心地よく聴こえるようになった。
もしかしたら私たちの人生も年齢を重ねることで角が取れ、まろやかに味わい深くなるのかもしれない。きっと味覚や聴覚のようにその経年的な変化を受け入れ、それも含めて人生を味わった時に見えてくるもの、感じてくることがあるのだと思う。