「リテラシー(literacy)」という言葉が一般向けに頻繁に使われるようになったのは、ここ10年ほどのことだろう。SNSなどを使って個人が情報を気軽に発信出来るようになり有益な情報に混ざって信憑性のない、無益な、時に有害な情報が大量に飛び交うようになった頃からだったように思う。その頃から情報を受け取る側のユーザーは、膨大な量の情報の中から本当に必要なものを選び出して活用する能力、つまり「情報リテラシー」がいっそう求められるようになった。
情報を気軽に発信出来るようになったことで様々なお店や企業も自分たちの商品やサービスの良さを積極的に発信するようになった。今この文章を書いている私自身も、多くの方に利用して頂きたいという思いで書いているでのあるからまさにその中の1人ということになる。
個人がその書いたものを気軽に公に出来るということは表現の多様性という観点からは良いことなのかもしれぬが、一方でそこには負の側面ももちろん存在する。その一つが、チェック機能つまり「フィルター」がないということである。美味しいものを食べた時や美しい景色を見た時、胸を打つ音楽を聴いた時などに自らの語彙を駆使してその良さをブログで表現sすることについては何ら問題はない。しかしながら人の健康に関わることの場合、特にそれを書く人間が健康に関わる仕事をしていて集客や販促のために書く場合には、なるべく正確な情報を伝えるために細心の注意を払う必要があるといえるし、それは義務でもあるはずだ。言い換えるなら、自ら矜持や客観性という「フィルター」を持つということでもある。
ところが近年、施術所の看板やウェブサイトの中にそのような義務であるはずのフィルターをまったく通していないと思われる文言が非常に多く目につくようになった。具体的な例については言及を避けるが、それら看板やウェブサイトに記載されている治療効果についても利用者は自らを守るための判断力が大切なのは言うまでもない。
もともと「リテラシー」という言葉には、文字・文章を読んで適切に理解・分析し、改めてその内容を記述・表現する能力つまり「読解記述力」という意味がある。インプットしたものを取捨選択する能力というだけでなく適切にアプトプットする能力というところまでを意味しているのである。
看板やウェブサイトに記述(アプトプット)している内容は、それを書いた人のリテラシーと密接な関係があるわけで、つまりそれはサービスの質の高さや技術の高さと確実にリンクしていると考えて良いだろう。